誰が何のために…?

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謎に包まれた大仏

 鎌倉は吾妻の古都で魅力的な町だが,やはりどうしても京都,奈良と鎌倉では勝負にならない。しかし大仏だけは鎌倉が日本一と言って差し支えない。もちろん東大寺と高徳院で比べると東大寺に軍配が上がってしまうが,純粋に大仏だけを比較すると鎌倉の大仏の方が美しく,瞑想的で,そして古い。鎌倉の大仏は鎌倉時代,奈良の大仏は奈良時代。一見すると奈良の方が古そうだが,奈良の大仏は度重なる火災等で破損と修復を繰り返し奈良時代からの部分はあまり残っていないので,より古いのはある意味鎌倉の方である。

 現在は長年の風雨に磨かれた緑青の美しい地肌をしているが,創建当初は奈良の大仏と同様に黄金の地肌であった。奈良の時はアマルガム法(金と水銀の液状の合金を大仏表面に塗り,火で炙って水銀だけ蒸発させて表面に金の膜を作るメッキ方法。単体の水銀はイオン化傾向も小さくそれほど危険ではないが,気体の水銀は有機水銀と同様に非常に危険)で金をメッキしたので多くの水銀中毒者を出したと思われるが,この時には金箔を表面に貼る方法が確立されており,この方法が採用され,水銀中毒被害は無かったとされている。

 ただ問題なのはこれほど有名でありながらこの大仏の詳細は不明という事である。奈良時代に建てられた奈良の大仏は建てられた経緯が詳細に分かっているにも関わらずこちらの大仏はそこが不明である。勧進の中心になったのは浄光という名前の僧侶らしいが,彼について明らかになっているのは名前くらいである。これほどの大事業なら鎌倉幕府のバックアップがあったの考えるのが自然だが,これについても分かっていない。さらに言えば鎌倉武士と言えば禅宗に帰依していたイメージがあるがこの像は禅宗の本尊である釋迦如来ではなく平安貴族の信仰を集めた阿彌陀如来である。 

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